〝木曾殿と 背中合わせの 寒さかな〟

は芭蕉の門人が生前に詠んだ句で芭蕉は〝義仲寺に葬られたい〟と遺言を残していた。

同じく〝旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る〟

は大坂で詠んだ辞世の句と言われている。

義仲寺にはその句碑がある。

松尾芭蕉は1694年11月(約330年前)大坂で亡くなったが遺言により大津の義仲寺に淀川を遡って運ばれ葬られた。

1690年に

〝行く春を 近江の人と 惜しみける〟

と詠んでいて近江の義仲寺をとても気に入っていたのだろう。

話を元に戻して湖岸を歩く旅は浜大津(大津港)に出る。今は冬、遊覧船は岸に係留されている。近くでみると結構大型で格好もスマートにできている。

昔大津は京の都への琵琶湖を通る物流の大拠点だった。

だが今は観光地である。

大津港を過ぎると湖岸に道はないので内側を歩く。この辺りはスポーツ施設が集まっていて広大なところ一帯を皇子山と呼んでいる。その昔の大津京に因んだ地名なのだろう。

その中で皇子山競技場は毎日マラソンのスタート、ゴールとして親しまれていたが今はそのレースも無くなった。

ここで雨が降ってきたので歩くのをやめて帰るため京阪電車に乗った。

駅は大津市役所前駅だった。

 

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