【前回の記事を読む】ある夏の日、大事な放送があると知らされ、父にラジオの前に座らされた。暑い日の正午だった...
歩き旅1 1月4日(水) 1日目
大津市平津じた自宅――膳所本町
城跡を囲む堀も今は埋め立てられて幹線道路となり周りには立派な木製の遊歩道もできている。
そこから山手に向かうと膳所神社、膳所高校があって懐かしい思い出の風景だ。その前の京阪電車の膳所本町駅から帰途に就いて先ずは一日目を終えた。
歩き旅2 1月7日(土) 2日目
膳所本町――大津市役所前
今日は七草粥の日だ。子供の頃“セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロこれぞ七草”という風に覚えたものである。スズナは蕪(かぶ)、スズシロは大根だ。だが今朝は何も食べずに出掛けた。
今回はこの前第一回目の帰りに乗った京阪電車の膳所本町駅に向かう。膳所本町は京阪電車の石坂線(石山寺―坂本)の真ん中辺、旧膳所城の本丸(現在は膳所公園)が在った場所の近くだ。駅を降りて2-3分歩くと膳所高校の校門の前に出る。道路を挟んで反対側は膳所神社、私はこの膳所神社に思い出がある。
というより膳所神社の太鼓にだ。
昭和31年春、(1956年、57年前)我が膳所高校は選抜高校野球で選ばれて甲子園に出場することになった。
前年から有望視されていて秋の近畿大会の応援にも行った。
その結果次第で選抜に選ばれるかどうかが決まるので近畿大会は大変大事な大会なのだ。そしてその大会で好成績を残して、わが膳所高校はセンバツ高校野球の出場の機会を得た。
ただこの年の3月までは校名は大津東高校だった。
さあ大変! 日ごろから学業はともかく野球はそれほど強くなかったから何もない。応援団がない。慌てて作ることになったが先ずやり方も分からない。生徒会長のT君を中心にして何名かが協力し合い、寄付を集め応援の旗を作ったりした。応援のやり方も膳所公園で大声を出して練習した。
太鼓も必要だということになり、膳所神社から大太鼓を借り受けて甲子園のアルプススタンドに持ち込んだ。私たちにわか作りの応援団は大声を出して頑張った。
私は太鼓をたたく係だった。
手に肉刺(まめ)を作り3、3、7拍子、チャンスが来たら太鼓連打と頑張った。そこで分かったことは太鼓係には野球を見る暇がないことだ。何しろずっとスタンドの応援団を見ているのだから。