さて膳所神社から真っ直ぐ琵琶湖に向かうと膳所城の跡である。膳所城は1601年(424年前)に徳川家康の命で藤堂高虎が建てたとされているが当時の建物の一部は彦根城に移築され壊され、今は最近作られた門以外は何も残っていない。

城跡公園の横にはK、とFという貸し船屋さんがあった。

その貸し船屋さんは今でも残っていて営業している。

当時は櫓で漕ぐ和船や手漕ぎボートの貸し出しだったが、今はバス釣り用のモーターボート等を貸し出している。

高校には科学班と云ういわゆる部活があって、私も入っていた。そこでは琵琶湖の水質分析をしていて、塩素イオン濃度と溶存酸素量を毎日測っていた。私は塩素イオン濃度の担当で、ビューレットというガラス製の容器を用い、硝酸銀溶液で分析していた。今だったら一瞬で測れるのだろうが、当時はある程度のスキルが必要だった。

毎日膳所公園の湖畔の水を採取していたが、夏休みは和船を借りて、琵琶湖の対岸から何か所かを定めて琵琶湖を横断的に調べるため採水する様な事もあった。その時は和船に乗って採水を行う。だから私たちは和船も漕ぐ事ができたし、貸船屋に馴染みもあった。

当時はまだ水質も悪化していなくて、泳ぐ事もできた。今はもう水草や藻が茂って、とてもじゃないが泳ぐ気になれない。又当時の分析の結果は、今となっては貴重な資料だと思うのだが、どうなったのだろうか。

 

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