肝心の試合だが対戦相手は強豪中京商業だった。そして我が校は健闘して終盤七回に一点を返し一対一の同点となった。
“えらい事や”
“勝つかもしれんぞ!”
我々は必死で応援し盛り上がった。
そして同点のまま延長戦に入って夕闇が迫る中、さすがの伝統強豪校十回の裏に一点を入れられサヨナラ負けを喫した。
甲子園は終わった。しかし戦ったチームも応援していた人たちも健闘むなしく敗れた悔しさよりも、何かしらの達成感満足感を覚えていたような気がする。いい意味でのよくある目的と手段の勘違いが起こっていた。
その年、中京商業は選抜野球大会で優勝し、私は大学入試に落ちた。
後日談としてその時のチームの投手のI君はプロ野球の阪神タイガースに入団し、サードのK君は南海ホークスに入った。当時の阪神タイガースの監督は村山実監督でI君は一軍には昇格したものの甲子園でホームランを一本打っただけが実績で大成できなかった。村山監督から“あんなに熱心に練習する奴は見たことがない”と言われていたのだが。
K君は順調に一軍に上がってうまく行くかと思われていたのだが、ある試合で2塁打を打って2塁に滑り込み足を怪我してそのまま選手生命を絶たれたそうだ。二人とも顔見知りだったので後年本人たちから聞いた話である。