寛弘五年十一月――草子作り

入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人々はうちつぎつつ心のどかならぬに、御前には、御冊子(みさうし)つくりいとなませたまふとて、明けたてば、まづむかひさぶらひて、いろいろの紙選りととのへて、物語の本どもそへつつ、ところどころにふみ書きくばる。かつは綴ぢあつめしたたむるを役にて、明かし暮らす。(一六七)

草子作りは、まず依頼状を書くことから始まる。依頼状には、紙と見本が添えられる。見本は、作者が清書したもので、「物語の本どもそへつつ」と、綴じられて本の形になっている。依頼状を届けると、依頼された相手が書写を始めるので、書写されている間、何日か、何もすることがなくなる。

草子作りの後半は、一条天皇への献上本が綴じられる。草子作りは、まず前半の依頼状の発送があり、「かつは」と、後半のもう一つの仕事がある。草子作りの終了は、十一月十日より前だと考えられる。草子作りは比較的小規模に、短い日数で終わっている。

局に、物語の本どもとりにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿に、奉りたまひてけり。よろしう書きかへたりしは、みなひきうしなひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。(一六八)

作者は草子作りに使う本を局に隠していた。この中には書写の見本が含まれているが、書写の見本は依頼状とともに、すべて発送されてしまう。局にあった本の中には、書写の見本の他に、道長が持っていった本があった。書写の見本は、「よろしう書きかへたりし」という清書本であり、その他は清書されていない作者自身の本であったと考えられる。

 

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