温度計は氷点下四十度までどんどん下がったが、シベリア鉄道の車両はずっと熱帯さながらの暖かさであった。吹き積もった雪が深くなり、昼夜果てしなく雪が降り続いた。

バイカル湖の周りの丘陵地帯には素晴らしい景色があった。カラマツに覆われた低い丘と高い崖が東側と西側の湖岸に迫っているが、南に向かっては、まるで我国のカリフォルニアのシエラ山脈のように険しく、雪を頂いた巨大な山が湖の周りに迫っている。

我が国アメリカの速い列車と比べると、この「急行」は大層ゆっくり進むので、旅の終着点に着くまでに私たちは年老いた白髪の男と女になりはしないかと心配だった。

待ち望んだハルビンの光景がやっと見えてきたので、満州に近づいていることを知った。

私たちが見てきたシベリアの街は、ほとんどが低層の木造建築であったが、ハルビンには多数の頑丈なレンガ造りの建物があった。

モスクワからハルビンまで九日かかるとすると、ロンドンから東京まではウラジオストック経由の直行で十四日かかることになる。

ブリュッセルから京都まで十八日間の予定だったが、私たちはソウルで途中下車した。夫が新しい任務に赴任する道すがら、韓国を見てみたいと望んだので、経路は、周知の通り現在は日本の植民地である韓国を通ることになった。

ウラジオストックに行く乗客たちは、ハルビンで列車を降りたが、私たちはそのまま長春(ちょうしゅん)に向かって南下し、そこでオサム・コモリ(訳注:原文はOsame Komori)に会うことになっていた。彼は私たちの長年知っている日本人で、夫の通訳になる予定だった。

私たちは前もってオサムから次のような手紙を受け取っていた。

 

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