第一章 遠いかなたの日本
十二月の初めにブリュッセルを出発した時、私たちが目にした最後の光景は、北駅で並んで別れの手を振る人々の姿であり、その中には日本公使の姿もあった。
私たちは極東へ出発するところだった。夫がベルギーでの任務から日本の全権大使に転任になったためである。
東洋の諸問題は非常に重要であることと、私たちは日本の人々が好きであり、桜の国ほど興味をそそられる国は今まで他にはなかったため、この昇進は私たちにとって非常に喜ばしいものであった。
東洋への訪問は四度目であったこともあり、奇妙なことに思えるかもしれないが、旅の「出発点」である韓国に着くと、もう心の中では寛いだ気分になり始めていた。
ドイツとロシアを横断して、あっという間にモスクワに着いた。中国の万里の長城は、西欧の前哨地(ぜんしょうち)に来たことを思い起こさせるが、この都市は、かつてモンゴルに占拠されたことがある。
シベリア特急が駅を出発すると、これでとうとうヨーロッパに別れを告げたことを実感し、私たちはひたすら東方に向かった。
私たちは東ロシアと西シベリアの単調で白く広がる広大な平原を通過し、気が休まるものといえばウラル山脈のみだったが、鉄道が越えて行くその最南端の領域は到底山とは言えず、丘陵だった。
オビ川を越えると、平坦な草原(ステップ)からアルタイ山脈の麓の丘に登っていったが、そこには広々と開けた格好の農地が至る所にあり、まるで我国の西部のような田園地帯であるため、「ニューアメリカ」と呼ばれることもある。
私たちはロシア農民を満載した移民列車を追い越し、鉄道が敷設される以前は流刑者たちが行進した旧道を通り過ぎ、囚人たちを運ぶ収容所のような格子窓の付いた車両を目にした。