【前回の記事を読む】一人のアメリカ人女性は、日本を「魔法の国」という言葉で表現した。皇室の作法・習慣、そして芸術は異国の人の目にはどのように映っていたのだろうか...
序文
蒸気船の上では、浮き浮きすることや興味をそそられることが多くて、変化に富んでいた。
日曜日にはキリスト教徒たちが賛美歌を歌い、中国人やユダヤ人はファンタン(訳注:中国の賭博)でギャンブルをし、フィリピン人や日本人は三等デッキで格闘し、中国人とインド人は互いにナイフで切りあった。
乗船客の中には、大家族の宣教師たちがいるかと思えば、東方へ旅する気ままな若者たちもいた。一人旅の人たちのグループには、麻薬の密売人やいかさま賭博師、そしてどこにでもいる行商人がいた。
日本に近づくと、穏やかな海面を漂う大きな亀が、私たちの長寿と幸福を祈るためにわざわざ出迎えてくれたかのようであった。
日本人にとって亀はそのような象徴なのだから。私たちは新婚旅行中だったこともあり、彼は間違いなく吉兆だったので私たちはその亀に感謝した。
そしてまさにその時、日本は私たちに魔法をかけ、それからずっとその罠(わな)に私たちを捉(とら)えたままになっている。なぜなら、それからも私たちは再々日本に帰ってくることになったからである。
日本は五百八十の島々(※訳注一)から成っているので、しばしば島帝国(Island Empire)と呼ばれている。
神話と伝説の時代には豊(とよ)葦原(あしはらの)中国(なかつくに)と呼ばれ、後になって山門(※訳注二)と呼ばれたが、中世には中国人が太陽の源、あるいは太陽の昇る国、すなわち日の本(もと)と呼んだ。