最終的に日本となり、大日本(Great Japan)となった。だがもっと他に、例えば神々の国とか無数の刀剣の国(The Land of Million Swords)、桜の国、天国と地上の間の国(※訳注三)といった名前もある。
近年の世の中の移り変わりにもかかわらず、今でも昔の文人たちが見事に描いた魅力的な古い日本がさまざまなかたちで残っている。
鎌倉の巨大な青銅の仏は静かに鎮座(ちんざ)していつもながら私たちを見下ろしている。 日光では杉並木の道がいまだに驚くほど素晴らしいし、木々の生い茂る山腹の長い階段に使われている巨大な石の塊は、末代までも残るようにそれらを敷設した大勢の労働者たちを彷彿(ほうふつ)とさせる。
青銅の墓碑は昔のままだが、むしろ年月を経て美しく色づいており、きらびやかな古い寺院の木彫りや漆塗は忠実で愛情のこもった職人の手によって美しさと新鮮さを保っている。
瀬戸内海はただただ神秘的で絶えず変化しており、富士山はずっと今も昔のように崇(あが)められている。
古い日本について書いたものは大変多く且つ秀作なので、日本の言葉で言うと「粗野な愚妻が立派で賢明な読者方にこんなお粗末な手記を差し上げるのは気が進みません」ということになる。
だが私が書こうとしているのは、それほど古い日本についてではなく、むしろ新しい日本についてであり、社交生活、今日の教育事情、ドライブ旅行、政治、アイヌのクマ狩り、そして瀬戸内海のクルージングなどについてである。