奇怪な記事、新斉都媛と池津媛
実は『日本書紀』のからくりは、これだけではないのである。例えば、歴代天皇の在位の年数である。
特に応神天皇から雄略天皇までの七代の天皇の在位年数は、三年、五年、六年の短期間の天皇と、数十年間にわたる長期間の天皇に二極化される。
干支をさかのぼらせたからくりと、これら長期間在位の天皇たちがどこかで繋がっていることは間違いないだろう。ここにもからくりがあるということである。
そして、あるべきはずの記事の欠落と、あるはずもない記事の挿入である。
「二四七年の遣魏使(「神功紀」)」のようにあるべきはずの記事の欠落や、「天祖(あまつみおや)の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた)、今に一百七十九万二千四百七十余歳(「神武紀」)の記事のように、あるはずもない空言が挿入されていることに気付くのである。
これらにもからくりが仕掛けてあるのではないかと疑われる。
b、重複記事、類似記事、辻褄の合わない記事、不可解な記事、奇怪な記事などの挿入が各所に散見される。これらは単なる間違いか。それとも意図されたものなのか。
例えば強調のためか。または何かを否定、もしくは肯定しようとしているのか。あるいはからくりに引き込むための誘導なのか…。これらの記事には確かに違和感を覚えるのである。どこかでからくりと繋がっているのではないかと疑われるわけである。
奇怪な記事を二つ紹介してみよう。これらの記事は果たしてからくりとどう繋がっているのであろうか。
第一は「応神天皇紀」三十九年条の記事である。
三十九年の春二月(はるきさらぎ)に、百済(くだら)の直支王(ときわう)、其(そ)の妹新斉都媛(いろもしせつひめ)を遣(まだ)して仕(つか)へまつらしむ。爰(ここ)に新斉都媛、七(なな)の婦女(をみな)を率(ゐ)て、来帰(まうけ)り。(『日本書紀(二)』坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 黄4-2岩波文庫 による。以下『日本書紀』で特に断り書きのないものは同じ)