【前回の記事を読む】根底に流れる思想が「天皇統治の正当性の主張」である以上、『日本書紀』は、『古事記』によって枷をはめられている

はじめに  偽装の『古事記』とからくりの『日本書紀』

からくりの『日本書紀』

だが『古事記』と『日本書紀』の場合には、このような覚悟を持って史実と向き合った編纂者が居たようには思われないのだ。特に『古事記』の場合は、稗田阿礼(ひえだのあれ)の習誦した帝紀・本辞を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録したものであるが、稗田阿礼にそれを命じたのは天武天皇だったのである。

天武天皇が意図したままの『古事記』が出来上がったことは間違いないだろう。『古事記』の前文を読めば納得されるに違いない。

そして『日本書紀』であるが、『日本書紀』の紀年では百済記、または百済記からとったと思われる記事を利用する時に、その干支を二運(百二十年)さかのぼらせている。

井上光貞は、「日本書紀の編者のこのようなからくりは、記紀の紀年の問題を学問的に検討した那珂通世(なかみちよ)いらいの定説(『日本の歴史1 神話から歴史へ』「謎の世紀 神功皇后と朝鮮の記録」井上光貞、中央公論社)」だと指摘している。

つまり『日本書紀』はであるわけである。このからくりを史実と照らし合わせてみれば、どうみても歴史の改ざんを行ったのは『日本書紀』の編纂者自身ではないのかと疑いたくなるのである。

しかも「日本書紀神話」は、「古事記神話」についても大枠でこれを踏襲・補完する立場を取っており、天武天皇の思惑通りの記事を書いているように思われる。

なぜなのであろうか。『日本書紀』の編纂者たちは、誰も史実と向き合わなかったのであろうか。それとも、天皇統治の正当性を主張するために歴史の改ざんがあったと疑うこと自体が考えすぎなのであろうか。