それゆえに、フロイトの終末期における医師たちの行為は、今日の基準に照らせば、間接的積極的死亡幇助(付論(1)参照)と評価されるべきなのであろうか? あるいは、それを超えた、ある意味での嘱託殺人なのだろうか? はたまた、フロイトの自由意思による安楽死と評価するべきなのであろうか?
この点については、結局のところ、はっきりしない。フロイトの終末期の治療は、医師シュアーと女医シュトロスに決定的に依存しており、このことは、フロイトの死そのものが幇助されただけではなく、彼の死に方も幇助されたという事実を物語っている。
フロイトの死の実際の状況についての「薬の水増し」については、他の2つの理由からも、もっともらしいと思われるかもしれない。
娘のアンナ・フロイトは、父親の思い出に敬意を表して、影を落とすことのないようにあらゆる手を尽くした。また、フロイトが、安楽死を告白することになるような法的な問題を避けたことも、シュアー医師、とりわけ、女医シュトロス博士の関心事であったようである。
カフカとフロイト、この2人の偉大な苦悩者は、死に逝く患者に共感的な医師による幇助を受けたのであった。医師らは、患者の要求に応じて、耐え難い苦しみの過程を短縮することを躊躇しなかったのである。苦しみの果てに正当な医療行為に出会うことを、両方の患者が望んだからなのであろうか?
注1 Schur,Max:Sigmund Freud:Suhrkamp TB 778(1982),S.620/621
注2 Lacoursiere,Roy B.:Freudʼs Death. Historical Truth and Biographical Fictions.American Imago(2008),Band 65/1,S.118
注3 Lacoursiere,Roy B.:S.115 ff.
注4 Berthelsen,Detlef:Alltag bei Familie Freud.Die Erinnerungen der Paula Fichtl.DTV Biographie,S.89 f.(デトレフ・ベルテルセン『フロイト家の日常生活』石光泰夫/石光輝子訳、平凡社、1991年)
注5 Brief Max Schurs vom 19.3.1954 an Anna Freud:»Schur Papers«(Box1), Library of Congress, Washington D.C.
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