しばらく他愛もない話をして、夫婦が腰を上げる。また、寄らせてもらいます。僕と彼女の母親が、月に2泊ずつ子どもの面倒を見に来てくれるので。そんな日には早い時間、2人で出かけます。

みなさんの話、ホント興味津々でした。女将さん、今度ピクルスのつくり方、教えてください。

ええ、また来てくださいね。いやいやいや、カップルさん、また巻き込まれてくれよ。

よろしくお願いします。おやすみなさい。また、頼んます。

10分もしないうちに、お客さんがひとり入ってきた。〈Patina〉の古株、NPOのリョウコさんだ。厨房に顔を出し、まずタエさんに声を掛ける。ひさしぶり! 今日もおつまみ、楽しみにして来たわ。みんなに笑顔をおくりながら、クマくんの隣りの空席を自然に埋める。

ネイビーは、なにも訊かずに、ハウスワインの白を細身のクーラーに入れてサーブする。

「リョウコさん、子どもの英語教育って、盛んだろ? いまみんなで話していたんだ」

「学童クラブでも、図書館のお話し会でもやっているわ。子どもが英語で遊ぶの、いいじゃない?

言葉は早いうちからのほうが身につくらしいわよ」

「その前に、ちゃんと日本語を学んだほうがいいんじゃないかって、話していたんだ」

「あらら。それはね、あるの!」リョウコさんがワインで喉を湿らせ、スイッチを入れる。

「地に足のついた言葉というのかしら……深く考えるための言葉を使いこなせていないと、ほかの言葉で、それ以上に深くは考えにくいような気がするわ」

「言葉の学びは、どうやったら深くなるんだろう。本を読むとか、まぁ、ふつうだけど」

「わたしが言葉のことで気になっているのは、ノートを取らないひとたちが増えていることかしら。あるとき、NPOのひとりに訊いてみたの。ノートは取らなくても、大丈夫なのね。振り返りは、しっかりできている?」

そのメンバーは、文部省(当時)が、学習指導要領を極端に簡略化した時期に学生だった。

「僕の高校では、ノートを取らないと暗記できないヤツは、バカだって言われていました」

そのひとは、ノートを取らないことが知性の証のように話したの。ショックだった。


*1 ヒロ・ウザワ(宇沢弘文) 数理経済学の世界的権威。持続的社会における経済のあり方を模索した先駆者。

次回更新は9月24日(水)、11時の予定です。

 

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