案の定、あたしが厨房に顔を出したとたん、談笑に夢中だったはずの男たちの視線が驚くほど統率して動いた。彼らは瞬時に女のにおいを嗅ぎ分け、酩酊したふりをしながら、本能という網で珍しい肴を掬い上げた。その目は異様なほど炯々(けいけい)と輝き、黒い欲望が見え隠れしていた。
「おい、テルミちゃんだろ。ずいぶん綺麗になったなぁ」
「大人になったね。いくつになったの」
方々からあがる猫なで声。それは、十歳の時にここで働いて以来、物珍しさで構ってくれた連中だった。
「おっちゃんの膝に乗るかい。お馬さんごっこしようか」
一斉に下劣な笑いが爆発した。ここ一番の見せ場とばかりに調子を合わせる者までいる。
「お馬さん、お馬さん、パカパカパカパカパカパカパカ」
心底、戦慄した。この男たちは幼少の頃の記憶を貶め、悪びれもせずに全霊で凌辱しているのだ。
死ね。
「悪いが今日は店じまいだ。みんな帰ってくれ」
ビンさんの一言があたしの灼熱を遮った。男たちは憤懣(ふんまん)やるかたない咆哮を上げ、大袈裟にカウンターまで詰め寄った。
「テル、氷を持って帰れ。いつもの場所だ」
それでも彼は動じない。あたしにビニール袋を差し出し、奥にあるタイル敷きの作業場へと促した。
そこには裸電球が一つと、業務用の大型冷蔵庫が一台、壁にかかったビニール手袋、そして丸椅子があった。無造作に置かれた切り株状のまな板に中華包丁が刺さっているのも、あの頃と変わらない。ここはあたしにとって忘れもしない場所。終わりというものを知った場所だ。
あたしは純度の高い氷をシャベルで掬い、一粒を口に放り込んだ。七年前に聞いた
――トンッ。
と、いう音を脳内に蘇らせながら。
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