【前回の記事を読む】「似たようなことやってんだろ。開き直るな。何だ、その格好は」――少女が制服を脱げなかった理由とは
一 ごみの城
「幾らになった?」
頬の氷が解け始める頃、厨房を覗いて言った。煙が消えた店内は、以前より煮詰めた飴色にくすんでいる。
「四百くらいだな」
彼は傷だらけのシンクを磨きながら、足元に忍ばせた金庫を眇(すが)めた。
「四百か……あと五十万。そうしたらここを出る。ねえ、ちゃんと守ってよ。何を言われても絶対に渡しちゃあ駄目だからね。あの女、何か気づいてるみたいなんだ」
「分かってる。聞き飽きた」
たとえそうだとしても、言って欲しかった。大丈夫だと、たった一言が欲しかった。
「ここを出てどうする。本島に行くあてでもあるのか」
ビンさんにしては珍しく、声音がくぐもって聞こえた。
「あてなんかない。でも、ここよりは百倍マシ。指折り数えながら死ぬのを待つくらいなら、本島で野たれ死んだ方がいい」
彼は何も答えなかった。しかし、刹那の沈黙の後、淡々と上着を羽織り、背中を向けて言った。
「送ってやる。水が出なくなる前に」
照明が儚く消えた。蛇腹式の鎧戸が鳴き声をあげ、ようやく店じまいを告げる。広場の宴会は落ち着きを取り戻したものの、酔い潰れた屍で埋まっていた。
ここでは夜間の配水制限が常だ。日々増えていく人口に対して、供給源があまりにも少ない。濁りのない水を得るのは不可能になっていて、氷一つにしてもビンさんの本島にある伝手で手に入れている貴重なものだった。
あたしはそんなお宝を口に放り込むと、くたびれた背中に向けて言った。
「心配性」