【前回記事を読む】60年代のローマで出会った一人の青年――日本人観光客がまだ稀だった頃の異国の旅の思い出

2 60年代のイタリア 地上の楽園 サレンモ

60年代の異国ですれ違った日本人観光客

口ぶりでは、ヨーロッパの至る所で、ブランド物をあさる大名旅行を続けていたようです。それを裏付けるように、彼の高級品に対する知識は相当なものでした。

「あなたたち、せっかくローマに来て、何も買っていないの? 日本で買ったら何倍もするのになあ……」

彼は外国旅行をしている私たちを、自分と同列の階級と思い込んでいるようでした。まさかパンナム社員とその家族に支給される、フリーチケットで旅行していたとは思いもよらなかったことでしょう。

世界各国、どこへ行っても日本人の何人かとは出会いましたが、ほとんどが世界に点在していた日本企業の社員でした。しかしさすがにローマは世界屈指の観光地。当時出会う日本人といえば、かなりハイクラスの人が多かったようです。 

3 世界遺産の斜塔に登る ─ ピサ

螺旋階段で頭もグルグル

ピサ市を訪れ、初めて斜塔に登ったのは1971年。ある男性とイタリアのドライブ旅行中に立ち寄ったのです。

ピサ市はフィレンツェから車で一時間ほどの場所にあります。私が訪ねたときは観光客が少なく、広場から斜塔に向かって歩いていくと、時折、修学旅行らしき少年少女たちに出会いました。

季節は春真っ盛り。みんな愛くるしく、明るい笑顔に輝き、あちこちで、愛用のカメラを向けて記念撮影をしていました。

傾いた建物は写真の被写体として最高です。いろいろな角度から異なった写真が撮れるので、ここで写真を撮る人が多いのです。当然ながら、斜塔は何度も目にしたものの、実物は写真で見た以上に傾いているように感じました。

塔が傾いた理由は、地盤の土質が不均衡だったためといわれています。

南側の土質が相対的に柔らかく、年月が経つうちに塔は傾き始めたということ。傾きを修正しながらの工事のため、工期も長くかかりました。しかし完全な修正には至らず、傾いたまま塔は完成しました。最上階のみ垂直に建てられています。

当初の計画では、現在の塔よりはるかに高い鐘楼ができる予定だったけれども、塔の傾斜を修正しきれなかったため、現在の斜塔が出来上がったわけです。皮肉にも、その不完全さゆえに「ピサの斜塔」と呼ばれて、世界屈指の観光スポットとしての名声を博することになりました。

斜塔の鐘楼には297段の階段があります。フィレンツェのジョットの鐘楼は444段もありそれよりずいぶん少ないのですが、斜塔の階段を上っている最中に、私はひどいめまいを感じました。