人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、
くさぐさの車が轍を残してすぎる四辻の甍にすぎないやうに思われる。
暗渠は朽ち、甍はすりへる
しかし一度はそれも祭りの日の四辻であったのだ。
三島由紀夫『宴のあと』
プロローグ
哀歌(エレジー)は細く物悲しく終わると相場が決まっている。
太田和彦『東京エレジー』(集英社)
厳しい冬の寒さが去り行き、若葉が目に眩しい風薫る季節を迎えると、「かぐわしい南の風の吹くころ、朱欒(ざぼん)の花がにほひます」という北原白秋の詩を思い出します。
南風の故郷、南国。その南国の一つタイの首都バンコク、私はこれまでに三度、また、バンコクのほかにもタイ北部の薔薇と呼ばれるチェンマイ、美しいガーデン・シティのシンガポール、地上最後の楽園と言われるインドネシアのバリ島に勤務したことがあります。
南国のさまざまな国で暮らした懐かしい日々の記憶は、年々記憶の彼方に消え去ってゆくようですが、徐々に消えゆく記憶のなかに、なぜかその部分だけが、あたかもスポット・ライトを浴びたかのような鮮やかな色彩を伴って現れてくる風景、そしてまた哀愁を伴った心象風景もあるようです。
南国、なかでもインドシナ(中国とインドの中間に位置し両文明の影響を受けたことからこの名前があります)における種々の体験、また、その体験の借景となった風土。特に、そこで出会った懐かしい人々との邂逅(かいこう)についても、備忘録としてなんとか残しておきたいという気持ちが、ここ数年の間、馬齢を重ねるに従って、強くなってきています。