第二章 渡来人に支配された古代ヤマト

鉄と東アジア

次の年表は、朝鮮史研究会編の『朝鮮の歴史』(三省堂)やその他を参考にしている。ここで明らかなことは、魏の軍事行動の盛衰が、朝鮮半島に大きな政治的変動をもたらし、それが倭国にまで及んでいることだ。前著では、232年頃を崇神渡海のときとした。

渡来年の確かな史料はないが、『三国史記』新羅本紀によればこの頃、倭人が半島東辺を侵す記事が続いて、半島から倭国にかけての海が騒がしくなっていたことが知られている。そして先述のように、寒冷期の影響が顕在化して、朝鮮半島の山林資源(=製鉄資源)が枯渇しつつあったと想像できる。

崇神は確信犯的に、出雲の鉄資源と山林資源を狙って渡海したのであろう。ただ史料的な裏付けがないので、この仮説は説得力に乏しい恨みはある。

ただこの当時の東アジアを観る場合、半島や倭だけの都合で判断すると、大局を見誤る可能性がある。中国における覇権争いの趨勢が、倭国にまで及んでくると考えた方がよい。現在の「中国―北朝鮮―大韓民国―日本」を、一つの政治・軍事・経済圏として捉える方が、東アジアの実体を正確に観察することになる、これと同じことである。

次表では、中国(魏)の軍事行動が活発になる時期が238〜244年にかけてであり、逆に消極的になるのは3世紀中頃以降であることが分かる。この時期における半島の政治情勢には、公孫氏の影響が大きかったことも見てとれる。

[図1]古代ヤマト時代の東アジア勢力年表