第二章 渡来人に支配された古代ヤマト
鉄と東アジア
崇神の渡海は、朝鮮半島の気候にも影響されたと思われる。当時の邪馬台国は、前著でも示したように、寒冷期の最中にあった。
朝鮮半島の人々は飢え、中国大陸では人が相食む状況(『魏志』武帝紀)であった。倭人も食を求めて、新羅まで出向いている。
また反対に、半島からも倭国に渡海してきた。インド洋から伸びる湿舌と梅雨前線(秋雨前線)が一定期間、列島上空に居座る気候の日本は、多雨に恵まれて樹々の成長が速く、製鉄立地としては最適な条件を備えていた。しかし寒冷期の朝鮮半島では、製鉄に必要な大量の樹木を消費したあとでは、それを再生させることができなかったと思われる。
魏志韓伝が伝える「辰韓伝」(新羅)には、国内に鉄資源が豊富で、その鉄製品(鉄鋌)が、周囲の国々では通貨の役割を果たしている様子が記録されている。
國出鐵韓濊倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
意訳すれば、「(新羅の)国は鉄を出す。(周囲の国)韓、濊、および倭は、皆これを取っている。諸々の市での買物には皆この鉄を用いて、中国で銭を用いるようである。また楽浪・帯方の二郡にもこれを供給している」。