歴史が混在し、現存している町であり、旨い物が残る筈だ。日はすでに落ち、空腹に気付いた私は、ご先祖様にならって、蕎麦と日本酒を頂くことにした。
頭の中では、志ん生・馬生・志ん朝の親子三代名人の口調が蘇る。気分はもう、「時蕎麦」か「蕎麦の隠居」か「羽織の蕎麦」の主人公だ。
まずは冷酒で喉を潤し、つまみは何だっていいやな。天抜き。鴨の煮込み。山芋山葵。人心地がついたら、蕎麦を頼もうか。
蕎麦ってのは、もりじゃあねえんだね。ざるが一番。もりだと蕎麦に海苔の香りが移っちまう。そいつをね、江戸前の辛いおつゆにちょいとだけつけて、一気に手繰るんだ。つつーっとすすり上げるてえと、口中に鼻先に、蕎麦の香りが抜けてもう堪らねえ。
姉さん、熱いのもう一本つけてくんな。気分はもう、一仕事終えて蕎麦を手繰る江戸の職人さ。
明治十五年 十月九日
徳川様が駿府に去って御一新となり、早十五年。皆に敬慕されし西郷南洲翁は、城山に没す。誠に残念至極。我も数日喪に服す。嗚呼、侍の世は去り、旧習は一掃されつつあり。
新開地横浜の「オリエンタル・イン」に招かれ、人生初の牛肉を食す。牛の肉をぶつ切りにし、味噌と酒にて甘辛く味付けす。
やや獣臭と臭味あれど、その食味すこぶる良し。滋養に富み、連れも満足した様子なり。食後、珍しき物あり。