【前回の記事を読む】大横綱直伝のちゃんこ鍋に合うのは「かち割りビール」! 冷やしている時間がないから、丼にかち割り氷とビールをぶち込んで…
一、 先付
当時私がいた会社は左前で、身売り間近な状況で、その部下をリストラするよう、社長から厳命されていた。彼は、まだ若く、転職して来たばかりで気は良いのだが、金銭面でルーズであり、解雇は致し方ない状況だったが、首切り役は辛い。
意を決してそれを伝えると、彼はすでに分かっていた。「この肉、旨いですね。今日は辛い役目をわざわざありがとうございます」
そう言った彼は、目を潤ませながらビールをひたすら呷っていた。私も付き合っておかわりしたが、あれ程苦いビールは味わったことがない。
渓流で冷やされたビールは、青春のやうに悲しかつた。峰を仰いで僕は、泣き入るやうに飲んだ。
ビシヨビシヨに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、青春のやうに悲しかった。
私は中原中也の詩を思い出し、彼の顔を見ることが出来なかった。
いつしか肉は煮え過ぎて硬くなり、私達はそれきり会っていない。
先日、その店を再訪すると、引き戸があり暖簾があり太鼓で迎えるのは何もかわっていなかった。しかし、インバウンドの影響だろうか、店員が観光客に、英語ですき焼きの説明をしていた。時は気付かぬ内に流れていく。
二、 椀物
明治三十七年 九月九日
激しい戦も漸く一段落。余りに銃弾や砲弾が飛び交つた所為か、耳が聴こえず。鼓膜が破れているかもしれぬ。其れでも自分は幸運で、何人の戦友を喪つたことか。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。てふてふが長閑に満州の空を舞つてゐる。露西亜を相手のこの戦、自分は従軍して未だ半年なりしが、既に弾が足りないと謂う噂が流れてゐる。
奴らの戦いぶりは粘りがあり、二枚腰の強さを感ずること頻り。露西亜が横綱常陸山ならば、こちらは精々前頭。兎に角喰らいつくしかあるまい。其れにしても、輜重隊は何をしているのか。此処数日、飯盒飯と缶詰ばかり。
ブリキの臭いが鼻をついて仕方がない。冷えた鮭缶の味にはもう飽きた。広大な満州の地では、風を遮るものがなく、野営は寒くて堪らぬ。願わくば、美しい芸妓に膝枕をして貰い、三味の音を聞きながら熱燗が飲みたしものよ。
何言ってんだじじい、太平楽なことをいってやがると、私は舌打ちした。
それにしても、学生時代は缶詰でよく飲んだ。私が大学生だった昭和五十年代、すでにコンビニはあったけれど、今ほどの店舗数ではなかった。
ファミレスも数える限り。夜通し開いている店も少なかった。よって、缶詰と安酒を買い込むしかなかった訳だ。