ちょうど十年かかったわけである。
もう六十歳であった。
一応、人間学の探究は達成したつもりではあったが、心中は悶々としていた。
真実に生きるとはどのようなことなのか? 真実に生きるとは、真実をよりどころとして生きること。本来、人間は真実に生きることを学ぶ生き物であるはず。
その解決を実践真宗学に求めたのである。
それからの十年が、これまた、家族への負担を含めて難行苦行であった。
人間学の探究から自己が究明される真実に生きる旅が始まった。
以後、被教育者に学ぶ生き方が求められた。
わたしたちの人生は不条理とか理不尽としか言いようのない出来事に満ち溢れている。我が身に起こるすべての出来事には必ず意味が含まれており、無駄なものは何一つない。 人生で出遇う(仏教用語では、縁で会うことを「出遇(であ)う」と書き、本書ではこの表記を使用する)出来事はすべて真理とは何かを教えてくれる機縁になると言う。
真理とは何か。それは、とてつもなく果てしない究極的な問いでもある。
およそ、人間的なものの中から答えは得られないであろう。
『聖書』(2)の中では、真理について答えるイエスにピラトが次のように言ったと記されている。「私は、真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。(中略)ピラトは言った。『真理とは何か』(ヨハネによる福音書18-37)」。また、仏教では、「空」や「浄土」が絶対の真理とされている。
(1)住岡夜晃『讃嘆の詩』上巻 樹心社 二〇〇三
(2)新共同訳『聖書』 日本聖書協会 二〇〇九