思えば、ずいぶん生臭い生き方をしてきたものだ。人間の本質を問い、人間学を探究したいと思うようになったのは、四十代後半のことであった。ちょうど人間としての在りかたに疑問を感じるようになった頃だったように思う。

それから三十年。

人間学の探究から自己を究明する学びへと転換した。

それまでは、社会人としての生き方に迎合せざるを得なかった。それも、立身出世や享楽を味わう人生を歩んでいたことは間違いない。宴会係長とも呼ばれるほど、如才ない人間を演じていたことも否めない。

こころの内では、それほど世間ずれした気持ちはなかった。もともと世渡り上手な人間ではなく、それを可能にしてくれたのがお酒であったように思う。お酒を飲めば饒舌になり、気持ちも大きくなり、周りの人との関係性を豊かなものにしてくれた。

その反面、さまざまな醜態を演じてしまったこともある。それが後に、アルコール依存とされる恐ろしい病魔に襲われそうになるのだが……。

社会的には、五十歳と言えば役職への就任や異動が多くなり、職場の人間関係を通して人間的な成長が求められる年代ではないだろうか。人間学の探究と言えば、世間的にも体裁がよく、生涯学習の一環として学ぶ意義も認められた。

でも、本当に学びたかったことは、その時にはあまり気づいてはいなかった。

それは人間的なものの中での人間学ではなく、人間的なものを超えたところにある絶対の真理だったように思う。

五十歳を過ぎてから、リカレント教育を利用して、三つの大学院へ通った。

それには、なみなみならぬ時間の調整と出費の覚悟を必要としたことは言うまでもない。

それにもまして大変だったのは、家族や職場の理解と協力を得ることであった。

特に、博士課程への進学では、三十年積み上げたサラリーマン人生を終結して、その退職金を交通費と学費に充てた。

個人事業所を起業しての掛け持ちで、三つの学位を取得した。