たまに何もない休日があると、私と妻はソファに並んで座り、日がよく差す窓辺から空を眺め、ゆったりとしたときを過ごした。
そしてそんな日は、妻に少しでも身心を休めてもらおうと、私はできる限りの家事を受け持つようにしていた。
それは、はしゃぐでもなく、また、冷めるでもない、それでいてしっかり心が通い合った夫婦生活であった。
こんなささやかな思い出のつまったこの家も、妻が亡くなってからは寒々として、人生の伴侶に先立たれた寂しさが日増しに募るばかりのものとなった。
私はいっそのこと、仕事もすっぱりと辞め、まったく知らない土地で、のんびりと老後の生活を送ろうと決断した。
気楽な独り身の移住と言えば、まさにそうだろう。私にとって、それ以上に的確な表現が見当たらなかった。
妻が亡くなって一年ほど経った頃から移住先を探し始めた。
ほどなくして、全国各地の自治体が移住者を募集して、いろいろな取り組みを行っていることを知った。
私は何日も各自治体のホームページを調べた。そして、この街を自分の第二の人生を送る街として決めた。「広い空。広い土地。大きな海。澄んだ空気」というキャッチフレーズが私を強く惹き付けたのだ。
ここは東西と南側を山脈に囲まれ、北面には日本海が広がっており、海の幸と自然が豊かで、まさにキャッチフレーズ通りの土地だった。
地元の人は、気温や積雪量という面で、北海道や東北に比べれば本当の雪国ではありませんと言うのだが、ほとんど雪の降らない都会から来た私にとって、慣れない土地で迎える初めての冬は不安と緊張の日々だった。
しかし、その年は記録的な暖冬だったそうで、雪が降ったのは数日に過ぎなかった。