【前回の記事を読む】天皇陛下が詠みあげた「よもの海 みなはらからと…」――人々が皆、同じ父母から生まれた兄弟姉妹のように思いあえば…
第三章 別れと出会い
二〇二三年
周りにいた人々から笑顔が消え、恐怖の顔へと一変する。子供の泣き叫ぶ声。大人たちの悲鳴が館内中に響き渡る。時計台の下にいた子供たちの親が、咄嗟に我が子を抱き抱え逃げだす。
僕は正面を向いたまま体が動かず、その光景をただ呆然と見つめていた。
逃げようとした子供が転ぶ。助けなければと思うが、金縛りのように体が固まっている。ナイフを振り回していた男が、男の子に気づいた。
男がうめき声をあげながら子供に近づいた時、何かが僕の横を、もの凄い勢いで走り抜けた。ほのかに石鹸の香りが漂う。同時に僕の体が金縛りから解き放たれる。
子供に駆け寄ろうとしたが、男は待ってくれない。男がナイフを振りかざす。だが、鋭いナイフの先にいたのは、子供を庇う女性の背中だった。
「危ない!」
僕は咄嗟に叫んだ。一瞬の出来事だった。
同じ格好をした別の男が横から跳び蹴りを食らわす。太郎だった。太郎がナイフを持った男を一撃で倒すと、男の手から離れたナイフが持ち主を捜すように回りながら僕の足元に着地した。
視線をナイフから男に戻す。飛んだ勢いでパーカーのフードが外れた。太郎が男を押さえつけながら、こちらを見ていた。
子供は駆けつけた父親に抱き上げられ、泣き続けている。勇敢な女性は、うつ伏せにされた男の両足を、首に巻いていたストールで縛り付けていた。
隠れていた人々が出てきて、太郎と女性に向かって拍手する。警備員と警察官が一足遅れて到着し、両腕両足を縛られた男の身柄を確保した。僕の足元にあったナイフも警官が押収した。 前回の事件の時に春くんから、「凶器に付いた指紋が証拠になる」と聞いていたので、触らずにいた。