【前回の記事を読む】「残飯なんか食べて、大丈夫だったの?」「当時は、残飯でも食べられたら幸せだったわ。」――上野駅の地下で暮らしていた戦災孤児…
第三章 別れと出会い
二〇二三年
ふくちゃんは、まだ七歳だった。そんな幼い少女が、爆撃を受けていた約二時間半の間に家族を失ってしまったのだ。
ふくちゃんだけではない。百万人に及ぶ人々が被災し、十万人以上が命を落としたのである。たったの二時間半で、だ。
戦争により路頭に迷った戦争孤児は十二万三千人以上と言われている。それほどの幼い子供たちが家をなくし親を亡くし、飢えに苦しみ、物乞いをすれば犬猫のように追い払われていたのである。
追い払われた結果、路地裏のゴミ箱を犬や猫のように漁り、それを分け合う。腐ったものを食べ、食中毒から死に至る子供もいた。
幼少時代に浮浪児と言われた子供たちのなかには、戦後七十八年が過ぎた今でも口を閉ざしている者が多いと聞いた。
気丈なふくちゃんでさえ、今日まで幼少時代を語ることがなかった。それは七十八年という長い間、想像を絶する、トラウマを抱えてきたということだ。前世の夢に出てくる僕は大人で、浮浪児の苦悩を経験することはできない。
しかし戦争を始めた結果、日本という国やそこに住まう人々が、どんな結末を迎えたかは言うまでもない。
戦争体験者が減っていく中で、戦争がいかに無意味なものであるかを知る者も、語り伝える者も、いなくなってしまうのではないかという不安に苛まれる。
だが、前世が見えなくても、戦争を体験していなくても、明確な答えが一つだけある。ふくちゃんも涙ながらに訴えていた。
「国と国との戦争で、必ずそこには〝死〟がある」
戦争では人の死は決して免れない。
たとえ戦争で勝ったとしても、他国の人々を死に追いやり、自国民をも犠牲にしたという結果が伴う。それだけではない。