戦争とは、自然を破壊し燃え広がる炎と煙で空を赤黒く染め、人間だけではなく、生きとし生けるもの全てを殺める所業だ。言うなれば戦争イコール殺戮だと、僕は思わずにはいられない。
もしも国に感情があるとしたら、果たして国は、あらゆる自然を破壊し、人々が殺し合うことを許せるのだろうか。
一九四五年(昭和二十年)八月十五日、およそ三年半続いた太平洋戦争で、日本は多くの犠牲者を出し、負けた。この日、昼から天皇陛下による玉音放送があった。
初めて日本人が天皇の声を聞いた日でもある。
僕は終戦の日、天皇陛下が何を思い、何を語ったのか知りたくなった。
祖父が残したという昭和天皇の公文書が載った新聞記事が、仏壇下の引き出しに収められていた。一緒に現代語訳の全文の記事も見つけた。現代語訳の記事は二〇一四年のものなので、ふくちゃんが入れたのだろうと思った。
果たして、偏差値の低い僕が詔書全文を読み終えることができるのか。自信がなかったが、「今読まずして、いつ読むのだ」と、祖父に言われたような気がして、現代語訳の全文を手に取った。
[終戦の詔書・玉音放送の全文]
「私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。
そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。
しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。