【前回の記事を読む】革命運動の裏には必ず刺客の暗躍がある。来訪中の孫文を訪ねてきたのは孫竹丹(そんちくたん)というスパイ嫌疑のかかった男で...
第一章 ハレー彗星、現わる
それから一週間ばかり経ったある日、小石川富坂警察署の刑事二、三名がやって来た。滔天叔父が用件を尋ねると、
「孫逸仙 (そんいっせん)(6)さんの外国退去令が出たものですから……」
滔天がそのことを孫文に伝えると、彼は、又かという風に少しも驚かず、「止むを得ません、アメリカへ行きます」と告げた。
「私は香港へ行きます」
と兄の孫徳彰もそう言って、二人の孫兄弟は二日後東京を出奔した。宮崎一家は東京駅まで送った。孫徳彰は香港に渡ると間もなく病没したとのことである。
孫文に対する日本政府の取締りの強化は、時の政府の対内的、対外的反動政策の表れであった。
対内的には、ちょうどその前後にいわゆる幸徳秋水(こうとくしゅうすい)等の社会主義信奉者の大検挙があり(大逆事件として有名)、対外的には清朝の袁世凱(7)末期の、倒清興漢の中国民族の興亡争闘期に於いて、清帝政府のとった革命党員打倒の強烈な政策の波紋であった。
日本政府も清朝政策の手先となって、革命党員の日本国在住者締め出し命令を出したのである。当時日本政府は第二次桂太郎内閣である。
孫文の日本政府当局、及び軍部に対する不信感の芽生えは、既にこの時代に兆(きざ)していた。
(6)逸仙は孫文の字(あざな)。
(7)一九一二年(明治四十五年)辛亥革命成立後清政府は袁世凱を起用、革命早期鎮圧を図った。