【前回の記事を読む】中天にかかった月、星に対する東洋人の感懐は、古来時と場所と人によって千差万別である。
第一章 ハレー彗星、現わる
孫文の来訪を見て喜んだのは滔天であった。その表情には、さして嬉しい影も見られなかったが、胸の裡(うち)には孫文の元気そうな顔色を見て、ほのぼのとした湯気でも湧き出るような嬉しい思いであったろう。
〝友遠方より来る、又楽しからずや〟である。ましてや当時の孫文は、日本の政府から追放命令を受け、その命令のままに日本を離れ、欧州やアメリカを一巡して又日本に舞い戻り、その足でコッソリ滔天の寓居を訪ねたのである。
然も、実兄孫徳彰までもハワイから連れてきている。中国民、日本人と国籍は異にするとも、同志としての孫文と滔天との心の流れは、汚れの無い清澄(せいちょう)そのもの、謂わば明鏡止水の境地であったろう。
その孫文がヒョッコリ元気な顔を見せたのである。滔天にとっては男として、生き甲斐(がい)のある一時であったに違いない。注1
一方で家庭の主婦である女性の考えは、又別な流れで走る。槌子叔母は、台所に走りこんで、思わず溜息をついていた。
叔母は熊本に生まれた、日本のごく普通の家庭の女である。長い旅行を続けてきた孫さん達を、自宅の風呂に入れて旅塵(りょじん)を落としてやりたい気持ちで一杯である。
そう思いついたのであるが、その日は生憎(あいにく)薪を切らしていたのだ。その時の母の心配に気づいたのが、旧制中学坊主であった龍介と弟震作、それに相棒であった黄興の長男、黄一欧である。
三人の少年は謀議一決、直ちに家を走り出たかと思うと、十分も経たない内に、各自枯木を胸に抱いて帰ってきた。
「どうしたのです」と叔母が問いただすと、三人は笑い乍ら、「隣の家の庭には庭木の枯枝が一杯ある」と言い乍ら、手を分けて、一人は風呂桶に水を入れ、一人は薪を燃やした。叔母はあっけにとられて、この腕白盛りの三少年の動作を見ていたという。
……孫文さんの風呂なら僕達が立ててやる……という、同一指向に突進した三人の少年、龍介、震作、黄一欧の智恵と行動は、やがて孫文や滔天の抱く大人の革命同志愛の表現に似て相通ずるものを感じたのが、槌子叔母の心懐ではなかったか?
孫文はその風呂に入った。そして長い旅路の垢(あか)を洗い流した。孫文はその風呂から上がり、槌子叔母が準備した日本の風呂上がりの浴衣に着がえて、叔父滔天と対坐してくつろいでいた時であった。
一人の中国人が滔天を訪ねてきた。
それは孫竹丹(そんちくたん)という、その頃の同志の間ではスパイの嫌疑のかかっている人物で、滔天叔父とも槌子叔母とも既知の人であるが、要注意の人物である。
革命運動の裏には必ず刺客の暗躍がある。これは世界人類社会の進歩途上には必ず、影が形に従うように発生するのが通念である。この刺客の毒手にかかって、消された貴重な生命がどれほどあったろうか。古今東西その例は世界の歴史に数多く残っている。