1897年、熊本県玉名郡六栄村に(11人兄弟のうち成人した)兄弟7人の6番目として誕生。
旧制玉名中学、早稲田大学卒業。
見習い士官終了後、富国徴兵保険相互会社勤務。
1937年から1947年にかけて二度召集を受け、日中戦争と太平洋戦争に従軍。
1945年、仏領インドシナで終戦を迎え、2年後に帰郷。
1951年、生まれ故郷の六栄村の第14代村長に選出。村長として二度の町村合併を主導(1888年、明治政府が町村制を施行した際、父貞俊が六栄村の初代村長に推挙され、六栄村の発足と終焉を親子で見届けた)。その後、熊本県玉名郡長洲町の助役として、新産業都市の指定や、長洲港と長崎県多比良港間のフェリー就航、日立造船の誘致などに尽力。