20世紀の精神医学・医学史にとって、医師であり精神分析学の創始者であるジグムント・フロイトのライフワークは他に類を見ない価値を持っている。フロイトは、1938年以来ロンドンに亡命していたユダヤ人である。
フロイトの業績は老齢になっても尽きることがない研究への意欲と、ほとんど熱病のような創造的エネルギーが結実したものである。フロイトが、生涯のほとんどにわたって、複数の病気と格闘していたことを考えれば、このことは、なおさら驚くべきことであり、賞賛に値する。
また、フロイトは、喫煙に耽っていた。何度も禁煙を試みたが、結局、不可欠な刺激物であるタバコを、死ぬまで手放すことができなかった。
主治医のマックス・シュアーによると、フロイトは、38歳(1894年)頃から、不特定の胃腸不調、度重なる失神発作、狭心症発作、頻脈、息切れに悩まされるようになっていた。
このことについては、フロイトの友人で、後に伝記作家となるアーネスト・ジョーンズが、フロイトのタバコ不耐症と顕著な精神神経症がその原因であったと述べている。
シュアーは本心では、フロイトが経験したと思われる冠状動脈血栓症(心筋梗塞)や感染性心筋炎などの器質的な病変の方が、より有力な原因であると考えていたようである。注2。
1917年には、フロイトは、すでに、喉頭蓋に厄介な病変があることに気づいていた。ウィーンの喉頭障害専門医マルクス・ハエック教授がフロイトの口蓋のしこりを診断したが、それが「がん」であることが判明したのは、1923年フロイト 66歳の時であった。
最初の外来手術は、多量の後出血のために命を落としかねないほど劇的なものであったらしい。
注1:zit. n. Brod, Max: Über Franz Kafka. Fischer Bücherei (1966), S. 185
注2:Schur, Max: Sigmund Freud, Leben und Sterben. Suhrkamp, TB 778 (1982), S. 59(マックス・シュール 『フロイト 生と死 〈上〉』 安田一郎/岸田秀訳、誠信書房、 1978年 以下省略)Jones, Ernest: Das Leben und Werk von Sigmund Freud. Band 3, S. 147
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