【前回の記事を読む】「時代が停まっている」――確かにその通りだと私は思わざるを得なかった。時代の変化によって誰もが迎える " 不確かな世界 "

第二章 これが老いなのか、誰もが迎える不確かな世界

時代が停まったのね

一度だけ出版社を訪ねたことがある。新宿御苑前と聞いたので「ああ、私の散歩道みたいなところでしたから(大丈夫です)」と答えていた。新宿のこの広い出口はNHKの交通情報でおなじみの光景である。しかし甲州街道沿いにあった筈のタクシー乗場が見えない。まずここで躓いた。

聞くとバスタの三階だと言われ、バスタは目の前の建物だから迷うことはなかった。タクシーに乗って、運転手に住所を伝えるまではよかったが、見える道路の街並みは私が知っていたのとは全く違う。呆気に取られたがタクシーはカーナビを設置しているのでともかく運転手任せで目的地に着くことはできた。

帰りは出版社の人がタクシーを拾うまでは連れ添ってくれたので迷うことなくホームまで帰ってこれた。

この外出時の私はまさに「おのぼりさん」オドオドキョロキョロしていただろう。その無様な様を思い出すと自信過剰の私もすっかり悄気(しょげ)てしまう。

さらにショックが襲った。本社の「認知症セミナー」の広告が新聞に載っていた。私が関心を持っているテーマだったのですぐに申し込んでもらった。会場が調布だったこともあった。調布は電車で乗り換えなしで行けるのと昔お世話になった先生のクリニックがあり、私にとってはやはりなじみの街という感覚があった。当日は会場の住所だけをメモして持って出た。

ところがである。まず降り立ったホームが新しくなっていた。表示されている出口に向かう時に私は降りる駅を間違えたかと思った。昔の面影は全くなかった。それでも自らを押して出口を上がると全く新しい街が広がっていた。それは驚きよりも恐れに近かった。

それでもセミナーに出席しないで空しく帰るのは口惜しかったので住所を頼りに、途中でその街の人らしい人に尋ね、なんとか会場にたどり着いたもののその疲労は大きかった。

これが「浦島太郎」ということなのだろうか。助けた亀に連れられて龍宮城の乙姫さまの歓迎とおもてなしに有頂天になった浦島太郎が村に帰った時は太郎が漁をしていた時の村の面影はなく、当然知り合いの村人もただのひとりもそこにはいなかった。

浦島太郎のその時のショックを現在の私が体験したのだ。これは恐怖以外の何ものでもなかった。

渋谷の変貌はテレビで見ている。なじみの下北沢もテレビで見た時、どこの街かと思ったくらいだ。ニューヨークの真ん中で迷子になったら英語はカタコト、ヒアリングは全くお手上げという私だから頭はまっ白になって倒れてしまうのは明らかだ。すさまじい街の変貌も画像の世界で私の足で歩いて見たものではない。

これらの恐怖を体験した私はこのホームのある街から外へ出る気持ちが萎えてしまった。「時代が停まった」とはこのことなのだ。

ホーム近辺のスーパーか病院に出かけることがなんと「安全 安心」なことかを知った私である。同時に「おばあちゃん」を認めざるを得ないということも正直なところである。辛い。これが「老い」なのか。