2 機織り工房
多くの建物の中の一つに、機織(はたお)りの工房があった。全国各地から織物の材料となる糸がたくさん献上されてきた。糸の素材となる植物繊維は麻(あさ)、苧麻(ちょま)がもっともよく利用された。
動物性の繭糸も利用されたが、これは高級な織物でごく一部の貴人のために織られていた。機織りの作業を行うのはほとんどが女性で、代々受け継がれた技能を若い娘たちが引き継ぐのは、このころすでに当たり前のことであった。
一般の人々に供せられる織物を造る工房は大王の宮城の外に建てられており、織物ができあがると、それを着ることができるように裁断して縫製されていた。当時の男性は袴衣(きぬはかま)姿、女性は衣裳(きぬも)姿が多く見られた。衣服を求めて、機織り工房には多くの人たちが出入りしていた。
大王の宮殿のある敷地の中にも、大王一族、各地の豪族などに用立てるための立派な機織り工房があった。この機織り工房には、多くの技能の優れた女性たちが集められ、日夜交代で作業は続けられた。夜遅くにも耳を澄ませると機を打つ音が、漆黒の闇の中を響き渡るのが聞こえてきた。
機織りを行う娘たちの中に、フタジ(石衝毘売命 (いわつくびめのみこと)、別名 布多遅能伊理毘売命(ふたじのいりびめのみこと))と呼ばれる美しい娘がいた。
先代の大王(垂仁天皇)の娘であるから皇女の身分なのだが、母親の身分が高くないことや、亡き大王の老いてからの娘であったことから、大王家の末席に連なるだけの存在だった。十五歳になるフタジは、皇女といえども遊んで暮らして生きていけるはずもなく、幼い頃から機織りに従事していた。
天性の美しさから豪族の子息たちの間では評判の娘であったが、厳しいことで有名な母親に守られており、嫁に欲しいという申し込みもすべて拒絶されていた。フタジにもその気はないらしく、もっぱら機織りに精を出していた。
フタジはその優れた容姿だけでなく、機織りの技術にかけても他の追随を許さないほどの腕前だった。彼女の手で織られた着物が、麻でも絹でも丈夫で美しいことが人々の間では評判になっていた。
機織り工房の管理を任されているマツノという老女が、織りあげられた布を見て触れば、誰が織ったものであるかすぐわかるのだった。フタジの作ったものだけは別格だった。フタジが織る麻や絹の織物には、糸の乱れがなく、また詰まりすぎても緩みすぎてもおらず、肌触りが不思議と柔らかくしかも強いのである。
身分の高い人たちはその着物を欲しがってマツノに頼み込むほどだった。「いくら頼まれてもフタジ様は、神様にお供えする神御衣(かんみそ)の他は、大王(おおきみ)に上納される織物を作られるだけです。
特別に作ってくれと頼まれても決して織られることはありません」
とマツノはけんもほろろに断るのだった。
ただマツノは、フタジが織る布の中に例外があるのを知っていた。フタジは、上質の麻糸を選んで、それをいろいろな濃度の藍染めにしていた。長い時間をかけて大切に準備した麻糸を、心をこめて織りあげていった。出来た反物を自ら裁断して、服を作っていくフタジの姿を、マツノはときどき物陰から見ていた。
その服は大切に保管されており、誰にも見せることはなかった。あるときマツノは、その着物をある人に届けるよう頼まれたことがあった。彼女の想いをマツノはよく知っているのだった。
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