街へ行くには、海に停泊した船から、小舟にいったん乗り換えて川を遡らなければならない(前に島があり暴風雨・嵐は避けられるが)。
少量の貴重な高価な交易品を扱っていた商業貿易交易時代にマレー半島の西側・インド洋側の先端部で見つけられた中継点である。
その後の産業革命以降の大型船・大量物資の中継点としては機能せず、やがて中継点としての中心はシンガポールやジャカルタに移っていった事に注意すべきである(マラッカ・ザビエルといえば、マラッカには、丘の上のカトリックのイエズス会(シンボルマークは、「上に十字架で下にIHS」、HISではない)の教会(セントポール教会)がある。後にここがオランダ・イギリスのプロテスタント支配になったため、カトリック教会であるこの教会の上部が破壊されている。この教会に一時ザビエルの遺体が安置されていたため、右手首のないザビエル像がある。切り落とされた右手首は、イタリアのカトリック教会に送られた。現代日本におけるイエズス会の影響といえば、確か上智大学も、明治以降のプロテスタント系ミッション・スクールでなく、カトリック・イエズス会の流れをくむ大学だったと思う)。
マラッカは、主流から外れ衰退したがために開発から逃れられ、昔の建物・風情が残ったがために、最近世界遺産として、観光地化されてきただけである(ドイツのロマンティック街道も昔のライン川沿いの交易路として栄え、アドリア海のドブロブニクやベニスも昔シルクロードのヨーロッパ側交易都市として栄え、その後交易路の変化で衰退し古きよき昔の面影を現在でも残していたがため、近年観光地化されたのだと思う)。