【前回の記事を読む】「午後は一緒に横浜へ食事に行きませんか?」と誘う叔父。当時、小6だった私は美味しい食事よりも〇〇を優先した…
第二章 子育てから学ぶこと、学んだこと
月日は流れ、結婚をして5年目にして第一子となる娘を妊娠すると同時に私のお腹には子宮筋腫があることもわかり、無事に赤ちゃんが生まれるのか不安ばかりの妊婦時代は始まりました。
つわりもひどく、それまで勤務をしていた給食調理員の仕事も早々に退職をして、家に引きこもる日々でした。
元気な赤ちゃんさえ産めばよい、と周囲の初孫に期待の声を素直に受け止めすぎてしまい、ウツ状態にもなりました。社会から孤立した時期でした。
さらに妊娠6カ月で子宮筋腫の痛みが強すぎて生活困難になり入院することになりました。
入院をして数日目のある日。同じ病棟の別室から患者さんの悲痛な叫び声と怒りの声が廊下に響き渡り、病室で横になっている私の耳にもその声が届きました。
その内容は入院中に流産してしまったことへの怒りを爆発させている患者さんの叫び声ということが次第にわかりました。
「先生がもっとちゃんと確認をしていればこんなことにならなかったのに!!」
私自身も同じ妊婦の身。赤ちゃんを授かれば後は生まれるだけだと思っていた私に冷や水をかけさせられるような、絶対に失敗を許されない医療現場の現実を見たような、複雑な気持ちになりました。そして自分のお腹に手を当て、無事に生まれてくることを願うことしかできませんでした。