そんな妊娠中の不安な出来事も乗り越え、無事に元気な女の子を出産しました。

命を生み出すということは、誰もが経験できることでもありません。無事に生まれる保証もありません。授かった命、生まれてきた命、この手で何としても守りたい。これから始まる子育てへの不安と期待と出産を終えたばかりの疲労に包まれながら、夜を迎えました。

しかし、事態は急変しました。翌日からは母子同室で赤ちゃんと過ごせる予定だったのですが、深夜の看護師の巡回の懐中電灯の細く長い灯りが私のベッドサイドに入り、「お休みのところごめんなさい。新生児室で預かっている赤ちゃんの体調が急変したので、これから小児科の先生のお話を聞いてもらっていいですか?」 と突然の呼び出し。

医師から話を聞くと、新生児室の何十人もいる赤ちゃんの中から、呼吸が少し苦しそうと見た娘の採血をして感染症が疑わしいと判断。早期治療の甲斐もあり、約2週間の入院治療で、すぐに退院。その後は風邪もほとんどひかない健康優良児として育ちました。

生きる人と亡くなる人の分かれ道があるのだとしたら、それは運命という名の分かれ道なのだと思います。しかし、どんな理由があったとしても自死は選んではいけない。強く思う出来事が訪れました。

どんな時も気丈にふるまい、弱音を吐くなら相手に文句を言うタイプの母親も、人生に行き詰まり死を選ぼうとした時期がありました。

経営に行き詰まり最後に消費者金融からお金を借りるようになり、返済ができずに苦しんだ時期。消費者金融に文句を言っても高金利の利率が下がるわけでもない。返済するために、また消費者金融でお金を借りる暮らしを私に内緒で繰り返していました。

この事実を知ったのは、娘が生まれ退院をして自宅で一緒に生活できるようになった生後1カ月過ぎの時期でした。その時期は母親も私の自宅で寝泊まりをして初めての子育てのお手伝いと称して初孫と少しでも過ごしたかったようで、約 1カ月一緒に過ごしていました。