〈観念〉と〈形式〉の一致というこの以後終生変わらないフローベールの美学は、ヘーゲル美学の〈形式と内容の一致(注1)〉に負っているとしても、やはりその汎神論的調和の世界観から導き出されたものである。

ジュールは、「……自分の〈形式〉を研究し、そこにふくまれている〈内容〉を〈形式〉から、引き出す事によって自ずと新しい方法、本当の独創性を獲得した。」が、彼はまだこの理論を本当には実践していない。

それが表出されれば、美と真実がそこにあらわれるような〈形式〉と〈内容〉の調和ある世界、一つの文章が、一つのセンテンスが、一つのパラグラフ、一つの章が、そして一つの作品全体が調和ある世界となるような創造の仕事がいかに困難なものであるか、まだ知らない。

『初稿感情教育』の最後で作者は、ジュールとアンリの二人の友人の離反を、ジュールが選択したあの原則に則って説明している。

「……現在の彼らがしている事、今夢みている事は、過去の彼らから、昔彼らがしてきた事、夢みたことの結果である。ある男の人生の一日一日は鎖のようなもので、一つの輪は別の輪に、次の輪は又次の輪につながっていて全部有益なのだ。」

この作品を失敗作と断定したフローベールは、後にルイズ・コレに「何故一つの幹が宿命的に二つに分れなければならなかったか、ある作用が一人の人物にあって何故特にこれこれの結果を招き、それ以外であり得なかったのか、を示す事です。原因も結果も示されています。が原因から結果へのつながりが示されていません。」(1852年1月16日)と語っている。

『聖アントワーヌの誘惑』についても同様「わが首飾りの真珠を何と心をこめて彫琢(ちょうたく)したことか! 忘れていたのは一つ、珠を通す糸です。」と嘆き反省している。フローベールはこの失敗を『ボヴァリー夫人』の5年近い歳月の執筆を通して克服していく。

『ボヴァリー夫人』はある意味で、〈何故エンマが結婚に幻滅し、二人の恋人を持ち、自殺するに至ったか〉の経過の小説ともいえるだろう。

G・メッシュは『ボヴァリー夫人の起源』の研究において、はじめのテーマとプランに沿って、いかに場面の連鎖が錬成されてくるか、各エピソード、各場面のつながりと物語全体の進展をつくる連鎖に、又各エピソードと物語全体の調和にフローベールがいかに苦労したかを、詳述している(注2)

この予想以上に年月を要した『ボヴァリー夫人』錬成の辛抱強い仕事を通して、フローベールは、ジュールの理論を真に己のものとしたのである。


(注1)ヘーゲル『美学』(ヘーゲル全集18b)岩波書店 1965年。
(注2)G. Mersch, La Genése de Madame Bovary, Genève-Paris Slatkine Reprints, 1980.

 

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