【前回の記事を読む】〈観念〉と〈形式〉の一致という終生変わらないフローベールの美学。『聖アントワーヌの誘惑』に足りなかったものは...
第一部フローベールの芸術的出発 ―初期作品を読む ―
5.『初稿感情教育』にみる芸術観
ここまでフローベールの初期作品における〈無限〉の両極相のうち、恋愛における心の広がり、自然との合体恍惚体験による空間の広がり、思い出=過去の想起する時間的広がりと、肯定相ともいえる〈無限〉を考察してきた。
そしてそれらが『初稿感情教育』のジュールの芸術観の中にいかに結実したかをみてきた。フローベールがここで達した〈世界の統一(unité ユニテ)〉なるスピノザ的汎神論、新しい世界観、統一美学は以後終生変らず、彼が信奉していくものである。それは〈芸術家〉としての存在意義をフローベールに確立させるものでもあった。
しかし〈無限〉がもつ、もう一つの否定相、存在から生の意味を奪い、全てを疑わせる懐疑主義、フローベールのペシミスム、あの虚無の世界に結びつく〈無限〉は、これによって解消されるものではなかった。
フローベールは又終生この〈虚無への捉われ(Goût du Néant グーデュネアン)〉を持ち続ける(注1)。が、フローベールにおけるこの虚無の問題は、稿を新たにしなければ論じられない大テーマだと思われる。