もう一方のヴィーナス的女性ではどうか。

至高の情熱を求め肉体的接触も許される恋では、男と女は所有するかされるか、支配するかされるか、愛は熾烈(しれつ)な戦いの様相を帯びる。

が、対象を貪り呑み尽くそうとする激しい欲望は、逆に相手から呑み込まれ己を無化したいという密かな誘惑と同義であり、愛における所有―非所有の関係はいつでも逆転しうる。

こうして肉体を媒体にした果てしない快楽追求は常に存在を疲弊させ失望させる危険を孕(はら)んでいる。

二つの基本構造のうち、前者の側面が基調となっているのが『感情教育』、後者の基調は『サラムボー』、『ボヴァリー夫人』はこの二つを等分に持っていると言えるかもしれない。

むろん先の二作品も、その他の作品においても、これら二つの傾向は混入されており微妙に入り交じって一つの恋の世界を構成しているのではあるが……


(注1)J. Bruneau 前掲書。
(注2)L. Czyba, La femme dans les romans de Flaubert, Presses Universitaires de Lyon, 1983.

 

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