第二部フローベールにおける〈両性具有(androgyne アンドロジィヌ)〉の問題 ―『サラムボー』を読む ―
1.フローベールにみる女性神話
フローベールの小説に描かれた恋愛対象の女性達はL・グジバが考察したように(注2)19世紀ブルジョワジーのイデオロギーに則ったステレオタイプを免れえない面もあるが、同時にフローベールの個人的偏愛の傾向を色濃く反映している。
中でもとりわけ注目すべき基本的傾向がある。それは清純無垢・不可侵の聖母的女性と限りない魅力で誘惑してやまず快楽追求において男性のアイデンティティを脅かすヴィーナス的女性という二つのイメージへの傾斜である。
前者にあって肉体は、禁じられ近づき難いものとして包み隠され無視され、時に嫌悪される。直接的肉体の接触は回避され、代わって香り、視線、衣服とその感触等、フェティシズムの対象となるものが大きなウェイトを占めてくる。
小説中の恋でも現実のルイズ・コレとの恋でもフローベールのこのフェティシズム傾向の例は顕著である。
『初稿感情教育』のアンリとルノー夫人、『感情教育』のフレデリックとアルヌー夫人、『ボヴァリー夫人』のジュスタンとボヴァリー夫人(エンマ)、小説に描かれた恋のみならず実生活でも年上の人妻、母性的女性にフローベールが惹かれていた事はよく知られている。
この母性の強調された恋では、愛の欲望は実現不可能なものになりやすく、それ故にこそ、これらの諸感覚・事物を通して想像裡のうちに一層激しく花開く。
例えば香りは愛欲の最も象徴的感覚として欲望の高まりにおいて女性そのものと同一視され嗅覚(きゅうかく)のエロティスムを構成する。
またアンリが〈黙って見つめ合う瞬間が最も心地よい……〉と明言しているように、視線の持つエロティスムもフローベールの描く恋を構成する重要な要素となる。裏返せばこれらはみな女性の肉体への直接的接触の恐怖を物語るものであろう。