【前回の記事を読む】フローベールが作品創造に依拠する思い出は、彼の過去の人生から切り離し強烈な光をあて、ある場面だけを照らし出すような…
第一部フローベールの芸術的出発 ―初期作品を読む ―
5.『初稿感情教育』にみる芸術観
人間性(humanitéユマニテ)、芸術の世界にまで押し広げ、世界全体の調和と秩序という新しい概念に達している。
この観点にたてば、全ゆるものが何か必然的な秩序に従ってそこに存在し、各々の相互関係、因果関係もその理由は確かに出来ないとしても、この秩序と調和を保つべく予めそうなるように定められていたのだろう、という先に示したジュールの結論が導かれる。
なお、おそらくここには、「一切は神の中に存在し、生じてくる一切のものは神の無限の本性の諸法則によってのみ生じ、神の本質の必然性から帰結される。1)」というスピノザの汎神論哲学の世界観も影響を与えているだろう。
いずれにしてもこの秩序原則に従えば、昔ジュールが感じ苦しんだ全ゆる事が、否定され放棄されるべきものではなく、彼の生涯において各々美しく調和を保っている事になる。
こうした過去の全てを統合し、各々の絶対的原因をたずねて、彼はそこに〈同じものを前にした同じ観念、同じ事実を前にした同じ感覚の周期的回帰の中にだけ奇跡的調和(シンメトリー)がある事〉に気がつく。
「自然もこの調和の奏楽に加わった。そして世界全体は彼には無限なるものを再現し、神の顔を反映するものと思われた。芸術はこうした全ての線を描き、全ての音を歌い、全ての形を刻み、その各々に均斉を与え、未知の道を通って美そのものよりももっと美しいあの美へとその均合いを導いてゆくものだった。」
ここには、かつてのように同じ処への回帰がもたらす生の分断、時の分断を生起させるあの深淵はない。
生の背後には、因果・相関関係ですき間なくつながる持続した時間が流れているはずだから、かつてと同じ処同じものを前に、同じ感情・感覚に捉われる事に、奇跡的な調和=相称を見出す。
そしてこの世界全体がどんなに広大になろうと芸術はこの世界を描ける。いやこの調和ある世界を再現する為に、現実の世界よりもっと高次の絶対的美の出現をめざして描かなければならないのだ。