第一部フローベールの芸術的出発    ―初期作品を読む ―

4.思い出=過去にみる〈無限〉

17歳の少年の頭の中で〈思い出〉はすでに一つの創造の世界を開く契機、基盤となっていることを示す、この『狂人の手記』の一節は後のフローベールの創造の世界を見事に予告している。

すなわち彼の作品創造は、客観的現実以上にこの思い出=過去の想起がもたらす幻像に依拠している。

「フローベールのレアリスムはドラマチックなストーリーからなるバルザック的小説を、場面をつなぎ合わせた小説に変える事にあった1)。」とA・チボーデは述べているが、この場面(scène)の多くが作家自身によって生きられた体験を核としていると言われている2)

従ってフローベールの場面創造にはまず、自分の人生の各瞬間が細部まではっきり甦ってくるように、記憶の集中作用によって思い出の中に身を沈めなければならない。

次いでこの思い出が、作家という演出家によって物語の背景、人物の行動心理に適宜採用されるよう幻像の選択、思い出の錬成がくる。しかしフローベールが作品創造に依拠するこの思い出は、先に見たように、時空的濃密さをもったものでも、連鎖的なものでもない。

彼の過去の人生から切りはなされ、そこで強烈な光をあてられて、ある場面だけをまざまざと照らし出すような思い出である。まばらにおかれた灯のような思い出は、ある場面を創造させるのには適するが、場面と場面をつなぐ糸は断たれたままである。

時間の秩序では統合されないこうした分断された思い出の諸相を基に過去を再現、創造する為には記憶の回顧を秋序だてる別の原則を必要とするだろう。

5.『初稿感情教育』にみる芸術観

ここまではフローベールの〈無限〉とのかかわり方を、恋愛、汎神論的恍惚体験、思い出の想起を通してみてきたが、最後に『初稿感情教育』の主人公ジュールの芸術家への進展に、フローベールがこの延長線上に到達した新しい世界観、美学を考察しておきたい。

前章で一人の生では不十分な程の広がりをもち、各々相互の因果関係も関連も見出せないまま、ついには混沌とした不確かな世界に化してしまうジュールの思い出のあり方を指摘したが、テクストは同じ26章で再びこうした想起を繰り返した後、「だが、こうした全てのものから彼の現在の状態は結果していたのであり、又こうした全てのものに立ち返る事もできるのだ。一つ一つの出来事が継起する出来事を生み出し、それぞれの感情もある観念の中に溶けこんでいた。……従って一連の多様な知覚の中にも一貫性と継起があったのだ。」と結論する。