G・プーレが、〈今この瞬間に存在するものとそれに先立つ全ゆる瞬間に存在していたものとの十全な相応関係〉、〈精神が世界を統一ある全体として保持する為に課する帰納的一体系3)〉と呼んで注目したあの秩序の法則に達する。
ここには先程のような思い出の多様性がもたらす不安定な混沌性はもうない。が、この突然の開眼、この相違は何なのか。彼は一体どこからこの法則を導き出したのか。
テクストでは分断されて示されているこの箇所は、同一場所で時間的にも持続した背景を持つ、同一場面で起こった事と考えられる。
先の混沌性は内部では保持されたまま、外からの原則に説得される。最初の想起の後に、ジュールが失恋後、現実での愛と栄光を諦め、様々な夢想、想像の世界に身を委ねることで自己自身から脱し、芸術家の没個性の重要性を受け入れた芸術家にすでに成っている事を示す箇所がある。
ジュールが苦悩の末に、有限なるものからはなれて、真実を知る方法としての芸術、純粋芸術の観念を所有した事が、つまり芸術家は、全体をながめる為に、全てを知り全てを感じる為に、自分の情熱や人生観に閉じ籠もらず、その外に出てゆかねばならない事を受け入れている事が記されている。
そしてジュールの最も大切なこの出発点は、すでにこれ以前20章、21章で示されたジュールの進展の歩みの確認なのである。
「神に与えられた山程の愛を彼は一人の人間、一つのものに投げかけず、自分の周りに共感の光のようにふりまいた。石を生かし木々と語り、花の魂を吸い、死者に尋ね世界と共に生きるのだった。彼は徐々に具体的なもの、限りあるもの、終りあるものから身を引いた。
抽象的なもの、永遠なるもの、美なるものにとどまる為に。……彼は自然に対して愛情のこもった理解、新しい能力をもとうと努めた。その力によって世界全体を一つの完璧な調和として享受しようとのぞんだ。」
ジュールは青年期のあの無限の幸福を具現する恋に破れた後、その心の愛を自然に投じ、自然の全ゆるものに共感、融解するエクスタシーを通してこの自然にある全てのものの秩序と調和を知る。
そしてこの自然界の秩序と調和が、想像の世界で全ゆる時代、国々、人々に身を移した時にも認められると思い、歴史、心理学研究によって、精神の世界にも同じ秩序と調和を求めていく。
注1)J. Bruneau, Les Débuts Littéraires de Gustave Flaubert 1831–1845, Colin, 1962.
注2)J. Bruneau 前掲書。
注3)革命直後、進歩的新人として立候補しようとした際はセネカルによって「ある民主主義的新聞創刊の出費を約束しながらそれを出さなかった……」と異議を申したてられ、保守派の新人として立とうとした際もデロリエから「自分の忠告を聞いていたら! 我々の手に一つ新聞があったら!」とこの点を強調される。
【前回の記事を読む】過去を再現、所有するはずの思い出は、無限を要約するものと言われながら、過去を一望の灯の下にはみせてくれないのである
【イチオシ記事】喧嘩を売った相手は、本物のヤンキーだった。それでも、メンツを保つために逃げ出すことなんてできない。そう思い前を見た瞬間...