ここには、フローベールが到達した新しい世界観、芸術家の使命がみてとれる。この26章は様々なジュールの内省の声が主調音となっている為見落とされがちだが、全て同じ時と場所の持続の中で展開されている。

すなわちジュールは野原に散歩に出て行き、昔訪れた思い出の場所を歩いている。その最初の描写をみてみると前章でみたあの自然への融解、汎神論的恍惚体験のおこる状況ときわめて類似している事に気づく。

『11月』と同様、ジュールは孤独な静謐(せいひつ)さの中で自分の足音だけを聞き、木々を、田園の風景を眺める。

それらは今彼らが眼前にしている風景でもあり、又過去の様々な折りの風景のイマージュでもある。

「……消えかかる光の色の心に入り込みこの調和全体を理解してその和合を学びたいと思った頃……」とか「あの頃は自分の全存在が陽ざしを浴びるように幸福に向って花開いていた。」という表現がみえることからも、同じ風景をみつめているジュールに、又このくだりを書いているフローベールに、かつての自然への融解、エクスタシーの思い出が無意識にも介入してきてそれを追体験しているように思われるのだ。

今までみてきたような様々な省察を重ねた後、ジュールは再び顔を上げてこの自然をみつめなおす。「大気は清やかでヒースの香りがしみこんでいた。彼はその空気を一杯吸いこんだ。

何やらさわやかな生気あふれるものが彼の魂の中に入ってきた。」が、次いで起こるのは自然への融解ではない。ここでは太陽は強烈な光を失い容易に眺められる穏やかさを持っている。

そしてこの自然の中に忘我することではなく、自己に帰ること、現実に立ち帰る事が決意されているのである。

これからジュールはどうなるのか、この小説の最後がそれを示してくれる。現実には彼の人生は〈単調な同じ仕事、同じ孤独の瞑想〉のうちに過ぎる。がその心の中には、あの汎神論的世界〈陽の光のしみわたった東洋の青空〉が広がり、想像の世界で目を開き耳を傾ければ、〈森が広がり、海は高鳴り、地平線は遠く空に接し溶け合う〉。

現実の人生は消え魂はこの無限の中を飛翔する。自然界のみならず歴史が人類が次々と彼の内に広がり、彼はその全ゆる魂、形、色彩の中に入り込み、様々な段階、生成、つながり、結末に思いをめぐらす。


注1)「と、一人の婦人が僕のひ弱な姿を見あやまって……つと僕の傍に腰を降ろしました。忽ち僕は女人の芳香を感じ、それは僕の魂の中に後にそこに東邦の詩が輝いたように満ち輝きました。僕は隣りに坐った女の人を偸み見ました。祝宴に幻惑された以上に僕は忽ちこの婦人に眩惑されてしまいました。」
(『谷間の百合』小西茂也訳)

 

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