母屋では、女性が一人、茶菓子を食べながら椅子へ腰掛けている。
診察代の支払いまでの時間、私は座席に腰を下ろし、持っていたトラクトをテーブルの上へぽんと置いた。
「あら、あなたそれ」
女性から急に声を掛けられて、私はどきまぎしながら振り向いた。
「え? な、何でしょう」
とっさに出た自分の言葉に戸惑いながらも、トラクトを差し出した。
「あら。そのトラクト。やっぱり。私が通っている教会のものだわ。先生にいただいたの?」
こくりと頷いて肯定したら、女性は柔らかな笑みを浮かべてみせた。「もしよかったら、遊びに来てください。中尾牧師もきっと喜ぶわ」
「遊びに、行くのですか?」
教会へ行くのって、そんなものなのだろうか。
釈然としない表情が顔に出たのだろう。その女性は、説き聞かせるように言った。
「そうよ。仏さまや神さまを信じてなくても、お寺や神社に行くときってあるでしょう。それと同じことだと思って、遊びに来てくださいな」
「でも、それはお寺や神社だからなのじゃ……·」
「じゃあ、キリスト教の教会だけが違っていると思うのはなぜ?」私は、言葉に詰まった。
キリスト教の教会だけが違うと思ったのは、記憶にかすかにこびり付いているカルト教団の信条が、かの老教祖にキリストの地位を僭称させる内容を持っていたからだった。
キリストの地位の僭称。すなわちメシア宣言をしたニセキリストである。
私がカルト教団の信条を認識している場へ足を延ばすことに強い抵抗感をいだくのは、思い出すだけでむかついてくる過去の出来事の回想を抜きに、そういう所へ行くことができないからである。
でもそれは、妹への手紙を書くうえでも、同じことではないだろうか。
「いえ。違わないかもしれない、です。ごめんなさい、うまく言葉にならなくて。私の中で、少しの違和感があるのです」女性はにっこり笑って首を横に振る。
そして言うのである。
「大丈夫です。初めはお一人でいらして、次からご家族でいらっしゃる方も少なくないんです。それくらい安心できる所なのですよ」
呟くように私は答えた。
「一度、考えてみます」
女性の言葉と表情の意味を分かりかね、診察代の会計が終わって帰路に就くまで、私はずっとうつむいていた。
次回更新は4月21日(月)、22時の予定です。
【イチオシ記事】朝起きると、背中の激痛と大量の汗。循環器科、消化器内科で検査を受けても病名が確定しない... 一体この病気とは...