【前回の記事を読む】妻の冴えない表情が、私の心を重くしていた。今回私の悪い予感はすべて当たった。それを考えるとぞっとした。

第四章 2015年(後)

11月月30日(月)
水木しげる

空気が冷たくなった。いよいよ冬の到来である。

7時前に良子を訪ねた。

今夜から食事が出たと言う。といっても勿論流動食である。

「重湯」「いりこ味噌」「コンソメスープ」「オニオンスープ」とメニューにある。

「全部は食べられなかった」と良子は言った。
「絶対に無理せぬように。慎重に、慎重に」
「今日は不整脈が起こって先生に見てもらった。足から上の方までカテーテルを通した。何か対策を言ったけど、断った」と言った。

「不整脈は誰にでもあるよ。それは心配いらないと思うね」と私は言った。私自身、息が詰まるほど心臓が踊ることがある。

良子は色々と話した。あい子はふむふむと聞いている。私には言葉が分からない。

「何と言っているの?」
とあい子に説明を求めたが、応じてくれない。私はむくれた。

良子はクシャミをした。激しく顔を歪めた。傷が痛むらしい。まだまだそういう状態である。

「お母さんが大きな声を出せないのは分かるでしょう」
と、帰りの車中であい子は言った。

「お母さんは色々と話したいのだから、黙って聞いてあげるのがいいでしょう? 途中で遮るよりも」
「なぜ補聴器をつけて聞く努力をしないの?」

私の難聴は「音量」として聞こえないのではない。「音」は聞こえるのであるが、「言葉」として分からない。音がビリついて混濁するのである。特に小さく低い声がダメである。良子の言葉は分からないが、あい子の言葉は分かる。歌舞伎役者の言葉はよく分かる。

そういう状態であるから、補聴器で音量を増強することは、聴覚そのものを傷めてしまうような気がしてコワイのである。私はある日劇的に耳の通路障害がなくなることを期待している。あい子は優しい子であるが、こういうとき反論しても無駄であることはよく知っている。私は黙っていた。私は良子が何を話しているか、知りたかった。

水木しげるさんが亡くなった。

巨人であった、と思う。