【前回の記事を読む】桜が心配で雨が降りしきるなか河川管理道路を上流に向かって歩いていると稲妻と雷鳴の間隔が短くなってきて…

薄紅色のいのちを抱いて

葉桜

夕子は一度だけうちの上の蔵で悠輔から江戸時代の絵図面を観せてもらったことがあった。たしかこのあたりは水色に塗られた涙型の遊水池だったようにおもう。

そしてこんなときに不謹慎なと、戸惑いつつ夕子の心に悠輔の姿が雨の壁にうっすらと見えた。

上の蔵で悠輔と頭を寄せ合って絵図面を観ているうちにふたりはどちらともなく盛り上がってしまって、キスだけではすまなくなった。

悠輔は蔵の鍵を内側からかけ、夕子を抱いた。彼女も普段と違う悠輔の性急さと激しさに経験したことのない心地良さについ、喘ぎを押さえることができなかった。

板張りの蔵の床がひんやりと冷たかったのを今も覚えている。

その後、ふたりは何回か示し合わせて蔵で寝た。そのときのときめきが、悠輔の言葉をおもい出させた。

「あんなあ、ウチのばあちゃん、九十五歳まで生きたやろ。その秘訣は若い心を持つことやって言うとった」

悠輔は少しにやけた顔をして続ける。

「ばあちゃん、エレベーターに乗ると興奮するらしいんや。二十代らしい若い男と乗り合わせると、『キスしようよ』って誘うそうな。すると男の子のどぎまぎした顔がなんとええことかと言うんや。それが元気の源やとか」と最後は大笑いしながら言った。

夕子は笑わなかった。なぜなら、ばあちゃんの「キスしようよ」は生きていることを確かめたかったのではないかとおもうから。もし若い娘がそんなことを言ったら、色情狂と間違えられるが、九十五歳ともなれば可愛いのではないか。