薄紅色のいのちを抱いて

満開そして散り桜

今年も大紅しだれ桜が満開を迎えた。

ここは桜専門庭師の夫、悠輔 (ゆうすけ)が江戸時代から先祖代々受け継いできた「桜の園」だ。

花の季節になると、近隣の人びとだけでなく、京都市内から峠を越えてたくさんの人がやってくる。観桜客たちはエントランスの山桜の天蓋をくぐり、園内に入ると、花びらを透かして見える紺碧の空に改めて吐息を漏らす。

客たちはともすると苗畑の撒水などの邪魔になることもあったのに悠輔は、「桜をもっと知ってもらいたいんや。ゆっくり観てってや」と笑う。

手が空いているときは観楼客の園内ガイドをしたりもした。特に園の真ん中にある大紅しだれ桜のところでは、「樹齢百五十年は超えてます。桜の種類はエドヒガンと言うて日本の山地に自生する代表的な桜の一つです。日本各地に老桜巨樹があります」などと時間をかけた。

ときとして、「桜は美しすぎて怖おすなぁ」と言うこともあった。観桜客は何のことやら理解できない様子。戸惑った表情で悠輔を見ている。

悠輔の妻夕子は十歳若い古稀。彼女はこの大紅しだれ桜を見上げて語る夫の横顔が好きだった。

「旧家やさかいといっても造園屋、嫁入り支度はなんもいらへんで」と言う悠輔の言葉に従って、唯一嫁入り道具として持ってきた古い鏡台に映る我が顔─頭は歳のわりにはまだ黒髪が多いけれど、もうしばらくしたらシルバーグレイになるとおもっている。

「色白のお顔が小そうて羨ましいえ」と人からよく言われるが、夕子は右頬にある小さな黒子(ほくろ)を内心気にしていた。目はやや垂れ、目尻に皺はあるが、若いときの輝きは未だ失っていないつもりだ。

そんな彼女より桜に魅入られている夫に軽い嫉妬に似たおもいを持ちながらも、夕子はなぜか、桜が美しすぎて怖いと言う夫の気持ちがわかるようにおもえた。

特に夕闇迫る残照の中では、満開の桜の花一つひとつにじっと見つめられているような気がして夕子の心を波立たせた。