【前回の記事を読む】花冷え以上に気温が下がったある日――大紅しだれ桜の枯れ枝を剪定中に夫は突然倒れあっけなく逝った

薄紅色のいのちを抱いて

満開そして散り桜

夕子は小さいが滔滔(とうとう)と流れる川の畔に面した広大な桜の園を持つ屋敷に独り残された。

途方に暮れる。

結婚して町の低層マンションに住む一人娘桜子は図書館の司書をしている。娘婿山田は市役所の土木技師だ。外孫麻美は保育園年長組で小さいときはあまりしゃべらなかったが、近ごろはしゃべり出したら止まらない。

「そない江戸時代からんボロ家(や)にひとり住まへんでウチに来やはったら……」と桜子は言ってくれる。

「おとうはんと造った桜の園があるからウチはここを離れへんわ」と夕子。それに誰にも話したことがないが、ずっと以前からこの桜の園を終の棲家にしようと心に定めていたのだ。

桜の園は北側を東から西へ流れる川に添うように堤の裾を東西約三百メートル、南北約百メートル。約三ヘクタール、昔でいう三町歩ほどある。川から引いた素掘りの小川が園内を巡って下流でまた川に注いでいる。

母屋に近いところに桜の挿し木用の挿し穂を作る畑や接(つ)ぎ木のために必要な主として大島桜の台木(だいぎ)を作る苗畑もある。また桜の苗木を出荷しやすいように、レッカー付き二トン車が入れるように小径が碁盤の目のように造られている。

区画ごとに山桜、里桜、エドヒガン桜、大島桜など種類を変えているから、開花や満開の時期が違うので春のひとときを長く楽しめる。

そんな桜の園で、気の合った男女がいつの間にか結ばれるように、桜同士互いに交配して偶然、花も鮮やかな新種ができることもあった。

「そないな新種ができたら嬉しいなあ」

いつも悠輔は、夕子に言っていた。

今は昔のことになったが、脱穀や大豆の殻取りや農作物の天日干しなどをする作業広場の前庭の突き当たりに、間口が二間もある母屋の玄関がある。中は寺のような約三十センチメートル(一尺)四方の黒い瓦板で舗装された四畳半ほどの三和土(たたき)注1)になっている。上を見ると、天井はなく黒くくすんだ梁が見える、京家特有の吹き抜けだ。

夕子は玄関からは滅多に入らない。主に彼岸、盆参りの寺の和尚や客人専用だ。彼女は玄関の右手の納屋を通って桜の園の作業で汚れた顔や手足を洗うため直接井戸へ行くことが多い。