【前回の記事を読む】桜の園で気の合った男女がいつの間にか結ばれるように、桜同士互いに交配して偶然花も鮮やかな新種ができることもあった
薄紅色のいのちを抱いて
満開そして散り桜
玄関の突き当たりは格子戸になっていて、そこから内は伝統的な土の三和土が奥まで続き、上がり框があり直接居間に上がることができる。上を見ると、ここも吹き抜けになっていて煤けた屋根の木組みが力強い。
その三和土の突き当たりが、今は現代風に改装した台所。かつてそこには京都では〝おくどさん〟と呼ぶ炊事用の竈(かまど)があった。壁に愛宕(おたぎ)の「阿多古祀符(あたごきふ)・火廼要慎(ひのようじん)」の札が貼られている。
悠輔が亡くなる少し前、七月三十一日の蒸し暑い夜にふたりで汗だくになりながら千日参りの愛宕山に登って受けてきたものだ。今でも悠輔の汗のにおいをふっと感じることがある。
台所から横に上の蔵に通じる長い廊下があり、途中に風呂と便所がある。台所から蔵に渡る廊下は床板が外れ、上げられるようになっていて、ちょうど居間の地下へ入れる。そこはひんやりとした石室 (いしむろ)だ。
特有の麹のにおいのするいくつもの漬け物桶、味噌樽、酒樽、酒甕、酒瓶、ビール瓶などが置いてある。夕子は嫁いできたころ、この場所はほっとできる隠れ家だった。今でもここに入ると、どこか遠くで姑が夕子を呼ぶ声が、聞こえるような気がする。息を潜めじっと耐えた時間だった。
夕子はお手伝いをしていた町屋の庭の枯れた山桜を晩秋に植え替えるため、下見にきた悠輔と知り合った。暑い夏の日だった。夕子が冷たい麦茶を出したときふと気づいて、庭の低木ヒラドツツジに絡みついた白いレースのような花の名前を聞いたのがきっかけだった。
「ああ、木カラスウリですな」
悠輔は素っ気なく言った。夕子はなぜかその素っ気なさが気に入った。秋に、山桜を植え替えにきた悠輔は誘ってきた。